メイドインジャパンの技術でこれまでになかったものをつくりたい――老舗劇場・明治座のIT化プロジェクトの今を追う

ソフトウェア開発会社でプログラマーとしてのキャリアを経て、株式会社明治座に移った赤(せき)俊哉さん。現在、業務管理室並びにIT戦略室の室長としてITの方向付けを行う一方で、プロジェクションマッピングを駆使した人気公演のプロデュースも手掛けています。

創業146年、東京最古の劇場である明治座は、実は業界に先んじてIT投資を積極的に推し進めるフロントランナーとしての一面も持っています。そのIT化を主導し、成功に導いているのが赤さんです。

プログラミングを通して何を学び、その経験を今の業務にどう活かしているのか。来るべきオリンピックイヤーに向けてどんなビジョンを描いているのか。“古くて新しい”劇場の屋台骨を支える赤さんに、思いの丈を聞きました。

大病からの再出発

――赤さんはもともとプログラマーだったと伺いました。プログラミングとの出会はいつですか?

赤:高校生までは理系の普通の学生でした。ところが高校三年のときに大病を患ってドロップアウトしたのです。その後、大学も受験せずにフリーターをしました。そんなある日、「SEやプログラマーが何万人不足する」という記事を新聞で読みまして、もともと理系だったので「これならできるかな」と思いIT業界に興味を持ったのです。そして専門学校に通いBASICというプログラミング言語に出会いました。コードを書いて初めてプログラムが動いたときはやはりちょっと感動しましたね。

――明治座に移ったのはどんな思いからですか?

赤:その専門学校を卒業するころ私はすでに23歳になっていたのですが、当時は売り手市場でしたので就職には困りませんでした。下請け開発をメインとするソフトウェア開発会社に入り、汎用機と呼ばれる大型コンピュータで動いている金融機関のシステムの開発に携わりました。5、6年はそこに勤めたと思います。

明治座に移ったのは本当にちょっとした縁がきっかけでした。正直に言ってしまうと、演劇が好きだから入ったのではありません。私の母、祖母が日本橋の出身で、祖母の知り合いに紹介していただいたのです。私はソフトウェア開発会社で月に何百時間も働き疲れ切っていました。そんなとき、知り合いの勧めもあり明治座に移ることにしました。こうした伝統的な会社にもITシステムはあるはずで、当然、誰かがその面倒を見ないといけない。私ならできるかなと思ったのです。28歳のときのことです。

その後、34歳のころ、2000年問題を前にシステムの全面改修を終えました。Web上での座席予約の仕組みを導入したのがその2年後です。つまり、明治座に入るなりITの部門長を任され、試行錯誤を繰り返しながら何とか道筋をつけていったのです。

――何でも自分でやらなければいけなかったのですね。

赤:はい。IT以外にも営業のセールスをしたり、幕の内弁当の製造工場で働いたりしたこともあります。弁当工場では建物の建て替えプロジェクトを主導しました。あまり大きくない所帯ですから色々なことに携わります。

そうしたものを手掛けた後、IT部門をきちんと再編成しようということになりまして、現在の業務管理室とIT戦略室に落ち着いたのです。今は業務管理室長兼IT戦略室長として業務管理全般、ITの方向付けを行いながら、チーフプロデューサーとして、昨年3月まで公演していた『SAKURA -JAPAN IN THE BOX-』などを手掛けています。このSAKURAはプロジェクションマッピング技術とアニメーションを融合させた演劇で、特に訪日外国人から人気を集めました。現在、来年の再公開に向けて準備を進めているところです。

国内外から人気を集める

――プロジェクションマッピング以外にもITを駆使した取り組みはありますか?

スマホのアプリを開発しました。そのアプリをインストールすると、SAKURAのアニメーションパートで、たとえばアニメソングが流れるタイミングで英語や韓国語など5か国語の字幕が出るようにしています。それ以外にも演出として光ったり、AR技術を使って紅葉や桜が降ってきたり、その状態のまま撮影できるようになっています。公演が終わると、主人公から自分の母国語で「ありがとう」という趣旨の手紙が届くようにもなっています。

アプリ開発だけでなく、ちょっと発想を変えてみたのです。演劇やコンサートに行くと、撮影は禁止のところが多いと思いますが、我々はすべてをオープンにしました。好きなだけ撮ってどんどんSNSにアップしてください、という具合です。

――SNS上ではだいぶ盛り上がるのでしょうね。

赤:そうですね。特に外国の方はすぐにつぶやいてくれるので盛り上がりました。また、雑誌などのメディアでも「明治座が面白いことを始めた」と取り上げていただいています。

――国内でも評判が高かったと伺っています。

赤:公演も後半に入ると、国内外問わず家族連れの方が多くいらっしゃるようになりました。アニメのキャラクターにインパクトがあったのが子供に受けたのかもしれません。「アンパンマンショーに飽きてしまう子供が最後まで楽しんでいました」という嬉しいお話もよく聞きます。

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――成功した秘訣は何だと思いますか?

赤:映像と音楽、人の動きを融合させた前例のない規模での公演で、すべてが手探りでした。たとえばダンサー、音楽家、和太鼓演奏者、アニメーション制作者、IT技術者などさまざまな人が関わりますので、“交通整理”をするのはなかなか大変でした。

ただ、私が最も感心したことでもあるのですが、みなさんモチベーションが非常に高い。ITのプロジェクトだとモチベーションが下がることがけっこうあるのですが、SAKURAのメンバーは最後までやり通しました。ITプロジェクトは「やらされている感」があるとダメですし、下請けでこき使われたりすると何のためにやっているのかわからなくなってしまいます。「逃げようか」みたいな話になってしまうプロジェクトはけっこう多いのです。

――お客さんの笑顔が見たいというのは高いモチベーションにつながりますか?

赤:それもあります。ITプロジェクトで二次請け、三次請けになると、やはり実際のお客さんの顔はわからないですからね。指示をする人が二次請けだったりすると、その人の発言が何のためのものなのかわからない。時間がどんどん過ぎて、こき使われる。仕様が変わっても何が変わったのかわからない。そうなると当然、品質も悪いし自分のモチベーションも上がらない。こうしたITプロジェクトはたぶん今も世の中に溢れていると思います。

――SAKURAのプロジェクトはそうではなかったのですね。

赤:SAKURAに出演したのは、さほど世の中で知られているわけではない人たちです。ただ、少なくとも好きなことで食っていける人たちではあるのです。彼らが初日に向けて何とかしようというパワーは半端ではなくすごいなと思いました。「まったく新しいものをつくるんだ」という熱量は私自身にとっても新鮮に映りましたね。ITプロジェクトとはそこが違うかなと思います。

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メイドインジャパンにこだわりたい

――SAKURAをはじめとする明治座の公演にはどんな思いが込められているのですか?

赤:私が関わる公演に関しては、今までに見たことがないものを提供したいと考えています。しかもメイドインジャパンの技術にこだわりたいとも思っています。「日本はこんなにすごいんだぜ」というのをエンターテイメントの世界でも見せたい。それが私のモチベーションになっています。

たとえばSAKURAのようなショーが作れたのは、私が演劇マニアではなかったからだと思っています。元々がプログラマーですからね。演劇から入ってきた人にはこういう発想はしにくいかもしれません。演劇の人はシナリオをきちんと書いて全体の価値を高めようとします。それに対して、私は瞬間瞬間の価値を高めようと考えます。ある意味では対極にあるのです。

また、日本人は「わかる人にだけわかればいい」というかたちで“芸術に逃げる”傾向が強いので、本作では逆に腰を据えたエンターテイメントを披露したいと思っていました。その想いに関係者全員が応えてくれたのが良い結果につながったのだと思います。

――プログラマーとしての経験は活きていると思いますか?

赤:もちろんです。どちらもモノづくりには違いがないと思います。ただ“システム屋”をしていたころは、お客さんのことをそこまで思ってはいなかったかもしれません。お客さんの顔をリアルタイムに見ることができる今のほうが、やっぱり楽しいです。歳を取ったせいかもしれませんが、喜んでほしいという気持ちが昔よりも強くなっていると思います。

私は今、システム屋として開発に取り組みながら公演のプロデュースもしています。どちらの側面も大切にしたいと思っています。両方の接点を見つけながら上手くやっていきたいというのが本音です。やはり2020年まではチャンスだと思います。日本のすばらしさを見つめ直す機運が高まっているなかで何かできないかと一生懸命考えています。オリンピックイヤーに向け、今年は特に行動を起こす一年にしたいと思っています。

取材協力:株式会社明治座

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