初代ロックマンのサウンドプログラマー・松前真奈美は、かくして“僕らの心に残る音楽”を作り上げた

傑作と呼ばれるゲーム音楽は、ただゲームの臨場感を高めてくれるだけではありません。私たちがゲームを遊んでいたときに感じたワクワクやドキドキのような、“感情の記憶”を呼び起こしてくれます。

そんな素敵な音楽を制作しているのは、「サウンドプログラマー」と呼ばれる職業の方々です。そして、今回ご登場いただくのは、サウンドプログラマーの中でも“超”有名人である松前真奈美さん。松前さんは、名作ゲームとして知られる初代ロックマンの音楽制作を担当していました。読者の皆さんの中にも、子供時代にロックマンで遊んだ経験のある方は多いのではないでしょうか。

初代ロックマンが発売されたファミコン全盛の時代、ゲーム音楽を作る際には、「同時に鳴らせる音数は3音まで」「データ容量が少ない」など、さまざまな制約があったといいます。

その環境で、松前さんはどのような工夫をし、素晴らしい楽曲の数々を作り上げたのでしょうか。その秘密を紐解いていきましょう。

「試しにカプコンを受けてみよう」から始まった、ゲーム音楽のキャリア

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―松前さんが音楽の道を志すようになったきっかけや、カプコンに入社した理由をお聞かせください。

松前:私と音楽との出会いは、幼少期にさかのぼります。アコースティックギターが趣味の父は、毎晩のように私を傍に座らせて、ギターを弾きながら童謡を歌っていました。ある日、私がそのギターのメロディーをいきなりオルガンで弾き始めたそうです。絶対音感が身についていたんですね。驚いた父は、すぐさま私を音楽教室に連れていきました(笑)。それでピアノを習い始めたんです。

―そこから、音楽のキャリアがスタートしたわけですね。

松前:そうなんです。ピアノの世界にのめり込んだ私は、大学でもピアノ科に進みました。大学4年生の時、進路について考えながら、何気なく大学の求人掲示板を見ていたら、カプコンが音楽の制作者を募集しているのを目にしたんです。

当時私は、ドラゴンクエストやスーパーマリオなどのゲームに夢中になっていて、カプコンという会社の名前ももちろん知っていました。「ゲームも大好きだし、どんなものか試しに受けてみよう」と、軽い気持ちで応募してみたら、なんと採用されてしまったんです。

―軽い気持ちで受けて、採用されてしまうのがすごいです!「サウンドプログラマー」という仕事には、すぐに慣れることができたのでしょうか?

松前:入社したての頃は、とても大変でした(笑)。ピアノを弾いて楽譜を書く作曲方法を、コンピューター上で作曲する方法に変えなければならなかったからです。そもそも、私はコンピューター自体に触れたことがなかったので、コンピューターの使い方から覚えなければなりませんでした。

その後も、作曲ツール、効果音ツール、ROM(コンピューターにおける、読み出し専用の記憶装置)への入力ツールと、たくさんのソフトを覚えるために残業の毎日でした。でも、やっぱりゲームが好きだったし、自分の作った音楽がゲームから流れるのを聴きたい気持ちが強かったので、心地よい苦しさだったことを覚えています。

入社後わずか4ヶ月で、ロックマンの音楽担当に大抜擢

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―松前さんの代表作の1つである、「ロックマン」シリーズに携わった経緯を教えてください。

松前:ツールを覚えたりするのに2ヶ月程度かかった後、あるゲームのステージ曲を1つ任されることになりました。作曲したものを先輩に厳しくチェックしてもらい、何度か修正してやっと合格したところで「今年の12月に発売される予定のロックマンの音楽を担当して」と言われたんです。それを言われたのが、なんと8月(笑)。

―ひええ……。なんという急な話……。

松前:「えっ!あと4ヶ月しかありませんよ」と言うと、先輩は涼しい顔で、「いや、発売が4ヶ月後だからマスターアップは遅くとも今から3ヶ月後!画面もかなり出来上がっているから、頑張ってね」と一言。あまりに突然のことにびっくりしました(笑)。

―本当に大変なスケジュールだったのですね。音楽制作において、松前さんはどのような作業を担当されていたのですか?

松前:「全て」ですね。今は、作曲と効果音は別々の人が担当するのが普通ですが、当時のカプコンではゲームの音楽制作に関する全ての作業(作曲、効果音、データをROMへ入力)を1人で担当しなければいけませんでした。

―ファミコン時代は、「同時発音可能音数が少ない」「音色の種類が少ない」「容量が少ない」など、様々な制約がある中で音楽制作をする必要があったかと思います。その制約がある中で、どのようにして良い音楽を作っていたのでしょうか?

松前:ファミコン時代は、同時発音可能数が3音+ノイズのみだったので、それらの3音を「メロディー用のトラック」「コード(音の重なり)感を出すトラック」「ベース用のトラック」というように分けて作曲していました。

コード感を出すトラックは、細かい音符でアルペジオ(ハーモニーを構成する音を、1音ずつ順番に弾く技法)を入力したり、メロディーとハモらせたりして響きを豊かにしました。また、コード感を出すトラックで、「最初に休符を入れ、音量を下げて、メロディー用のトラックで鳴らした旋律を後追いで鳴らす」という命令を出すことで、メロディーにエコーがかかったような効果を出すという技法もよく使っていましたね。

―細かいサウンドプログラミングの技術が、良質な音楽を表現するために使われていたのですね。

松前:そうなんです。音色が少ない問題は、2つのトラックを同時に鳴らす際に一方の音程だけをほんの少し上げることでコーラスのような効果を出し、音色のバリエーションを出すことで解決しました。

また、容量の少なさに対しては、入力するデータ数をなるべく少なくすることで対応しました。例えば、8分音符で同じ音を『ド ド ド ド ド ド ド ド』と入力すると8文字になりますが、『「ド」8』、という形にすると、より少ないデータ量で表現できます。そういった技法を駆使することで、制限のある中でも良い音楽を作ろうとしていたんです。

30年続けたからこそ、ロックマンを“遊んでくれた人たち”と仕事ができた

―ゲーム音楽に携わってきた中で、特に印象に残っているエピソードなどはありますか?

松前:子供の頃にロックマンで遊んでいた海外の方が、大人になってゲームのインディスタジオをロサンゼルスで立ち上げたのですが、その方と数年前に一緒に仕事をする機会がありました。私は彼らのゲームに2曲提供したのですが、「子供の頃に遊んだゲームの作曲家に、僕らのゲームの曲を書いてもらうなんて、夢のようでとても嬉しい!」と言ってくれたんです。本当に嬉しかったですね。

―長きにわたって、ゲーム音楽を作りつづけてきた松前さんだからこそ体験できた素敵なお話ですね。

松前:今年でゲーム音楽の作曲を始めて30年目になるのですが、未だに私の作った作品を皆さんに聴いて頂けて、本当にありがたいことだと思っています。それに、先ほどの方だけではなく、インドネシアやアメリカ、メキシコなどさまざまな国にいる「ロックマンを遊んだことのある方」とも仕事をする機会に恵まれました。

また去年は、アメリカのワシントンで開催された「MAGFest」という音楽とゲームの祭典にパネルディスカッションのゲストとしても呼ばれました。パネルでは私が作ったゲーム音楽に関するQ&Aや、ゲーム音楽の演奏をしたんです。そのステージ前では、ロックマンや敵キャラクターであるDr.ワイリーのコスプレをした人たちが、私たちの演奏を聴いてピョンピョン跳び跳ねてくれていました。本当に感動的な光景でしたね。

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▲これがその「MAGFest」の様子。会場の興奮が写真からも伝わってくるようだ。

ゲーム音楽制作に携わっていなければ、このようなイベントにも招待してもらえなかったでしょう。ゲーム音楽の力ってとても強いんだなと思った瞬間でした。

聴くと、ゲームの場面が思い浮かぶような音楽を

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―長年携わってきた「ゲーム音楽」に対して、松前さんはどのような想いを持っていますか?

松前:カプコンに入ったばかりの頃は、ゲーム音楽というジャンルが確立されるなんて全く思いもしませんでした。音楽はゲームを盛り上げる脇役だと思っていましたから。

でも、各ゲーム会社がバンドを結成し、自社のゲーム音楽を販売促進の一環として演奏するようになり、さまざまなイベントに出演し始めた頃から、ゲーム音楽が主役級の認知度を得るようになってきたと感じます。

例えば、元スクウェア・エニックス所属の方々は、ゲーム音楽でオーケストラコンサートを開催してらっしゃいますし、最近では海外でもゲーム音楽を演奏するオーケストラがあります。今後、コンサートが開催される国もどんどん増えていくでしょう。

―今後、そんなゲーム音楽の制作を担っていく人たちには、どのようなことを期待していますか?

松前:私もまだまだ未熟なので、言える立場にはないのですが、ゲーム音楽に携わっている人には、音楽を聴いたら、「あっ!あの場面だ!」と思えるような曲を作ってほしいです。

例えば、すぎやまこういち先生の制作された「おおぞらをとぶ(ドラゴンクエストⅢの曲で、不死鳥ラーミラに乗り、空を移動する時の音楽。最近ではトヨタ自動車のアクアのCMで使用された)」を聞くと、約30年も前の音楽なのに未だに鮮明にゲームの場面が浮かび上がります。そんな音楽って、とても素敵じゃないですか。

童心を彩ったメロディーが、次の世代の“芽”を育てる

ゲーム音楽の黎明期から現在に至るまで、素晴らしい楽曲の数々を世に届けてきた松前さん。その思い出を本当に楽しそうに、そして感慨深げに語ってくれたことが印象的でした。

これからも彼女が生み出す音楽は、世代を越え、国境を越えて愛され続けるのでしょう。そして、その作品に心を動かされ「自分も、ものづくりに携わりたい」と思った人々が、次の時代のワクワクやドキドキを作っていくのです。

取材協力:松前真奈美(@chanchacolin)

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