※この「エンビジ!」では、エンジニアに役立つであろうビジネス書をご紹介しつつ、著者の方にもお話を聞いていきます。
皆さんは「脳科学」という言葉にどのようなイメージを持ちますでしょうか?
脳トレのようなゲームを思い浮かべる人もいれば、もしかすると“うさん臭さ”みたいなものを感じる人もいるかも知れません。
今回、「最新の脳科学と技術でワクワクする未来が作れます」と語る方がいらっしゃるので、お話を聞いていきたいと思います。お話を伺うのは書籍『ニューロテクノロジー』の著者であるNTTデータ経営研究所の茨木拓也さんです。
――茨木さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
――茨木さんはNTTデータ経営研究所でどのようなお仕事をされているのでしょうか。
脳科学・ニューロテクノロジーを新規事業や既存事業に繋げるようなプロジェクトをいくつも進めている立場です。
――そんな茨木さんが書かれたのが『ニューロテクノロジー』という書籍ですね。この言葉って造語なんですか?
いえいえ、10数年前からある言葉ですよ。OECDとかオフィシャルなところでも使われるようなキーワードで、脳科学の技術的応用分野についての総称ですね。
――ちょっと具体的にどんなことができるのか、本から引用しながら質問させてください。
わかりました。
スマホが『ニューロデバイス』に置き換わる?
――まず、「スマホがニューロデバイスに置き換わる」とあるんですが、これはどういうことでしょうか。
誰もが使っているインターネットって、優れてはいますけど扱っている情報はテキストですよね。
――ええ、この記事もインターネット上の文字ですね。
昔から、ラジオやテレビ、インターネットとメディアは変わってきていますが、すべて「言葉」がベースになっていて、単に伝送様式が変わってきているだけです。そうではなくて、「脳の情報を直接読み取って扱ってしまおう」というのがニューロデバイスで、これは次の情報革命だと思っています。
――脳の情報を読み取って扱う?
ええ、私達が普段生きている中で、脳には表現されているけれど言葉にすることができない情報なんていくらでもあります。そういった脳の情報を直接読み取ったり、送ったり、書きこんだりしていく「脳情報通信」技術がニューロテクノロジーの根幹です。米国の起業家であるイーロン・マスク氏も「ニューラリンク(NeuraLink)」という会社を立ち上げていますし、フェイスブックも以前からこの分野で動いていますね。
<参考>フェイスブック「脳波読み取りデバイス」を買収、AR部門に編入
――へえ、イーロン・マスクやフェイスブックも。これ、インターフェイスはスマホみたいな機械で行うんでしょうか。
最初はスマホ型かもしれませんが、いずれは『攻殻機動隊』みたいなインプラント型になるのではないでしょうか。
――『攻殻機動隊』!なるほど。
-編集部解説-
『攻殻機動隊』が描く近未来の地球では、人類のほとんどが「電脳」と呼ばれるデバイスを頭蓋内に有しており、外部装置を介さずに直接インターネットの情報にアクセスできるようになっている。また、その電脳同士を有線で接続することで瞬時に脳内の情報を他者と共有することも可能。「義体化」という身体的なサイボーグ技術の普及も相まって、人間と機械の定義が曖昧になった世界が描かれている。
――脳の情報を送るって、まさに中二病的なアニメの世界っぽいですけど、本当に実現可能なんでしょうか。
脳どうしをつなげる技術については中国の研究グループは実際にやってしまいました。2019年に「微小電極を埋め込んだラットを人間の脳波でコントロールすることに成功した」と報告したんです。
――え、ネズミを脳波でコントロール…
通称「サイボーグラット」と呼ばれています。
人間同士の脳をつないで、情報をやり取りしたり、協力したりすることも研究レベルでは大分できるようになってきました。米国や中国は進んでこの分野に投資していますが、日本は遅れていますね。もっと投資をすべきだと思います。
セキュリティが強化される
――続いて「ブレインプリント」というキーワードが出てくるのですが、これはなんでしょうか?
フィンガープリントというのは指紋のことで、普通にスマホのセキュリティなどでも使われますよね。
――ああ、私のiPhoneも指紋認証ですね。
ですから、ブレインプリントというのは脳を使った認証方式のことですね。
――脳を使った認証?
ええ、脳にも一人ひとり個性があります。見た目もそうですし、脳波にも。だからその脳波を見て個体を識別する認証に使うわけです。
――うわあ、そんな技術が出てきているんですか。
まあ、頭に電極を付けないといけないので少し手間ではあるのですが、セキュリティは高いですよね。指紋認証にしても、目を使う「虹彩認証」にしてもコピーされてしまいますから。
――確かに、虹彩認証って映画なんかでもハッキングされているシーンが良く出てきますよね。
そうそう、脳のコピーやリプレイスなんていうのは難しいですからね。
「何が売れるか」が分かりやすくなる?
――それから、「仮想脳モデル」というキーワードもこの本に出てきます。「仮想化された各市場の脳」などと書いてあるんですが、これはなんですか?
これは、マーケティングでの用途ですね。なにか新製品を作るプロセスの中で、「こういう仕様が売れる」というのはなかなか分かりにくいものです。新商品の成功率は0.3%とも言われていますから。
――確かに。“ペルソナ”とか言って、仮想の人物を想像しながら「この人に売るにはどうするか」とかよく考えていますよね。
そうですね。そのペルソナは空想の人物でしかないわけですが、「仮想脳」というのは実際の人間の脳を使います。脳の情報処理の部分をコンピュータに移植しているものですね。
――脳の情報処理の部分をコンピュータに移植……
様々なもの、例えば私たちが作っているのだと広告動画に対する人の脳の反応データを大量に収集して、その反応モデルをコンピュータに移植していくわけです。そうすると「音楽趣味の人の脳」とか「20代主婦の脳」とか色々なモデルを揃えられますよね。それらのモデルで新製品の反応をテストしていくわけです。
――うわあ、またもやSFの世界ですね。
現実のものをバーチャルにコンピュータへと投影するという意味では『デジタルツイン』という考え方に似ていますね。
――なるほど。『デジタルツイン』って、現実にある機器やら設備の稼働状況をリアルタイムで仮想空間上に投影して、そこで様々なシミュレーションを実施するものですけど、それの「脳バージョン」みたいなイメージですね。
寝ている間に記憶力が増強?
――あとは、「寝ている間に刺激を受けるだけで学習効率が向上する」などと書いてあるのですが、なんですかこの夢のような話は。
睡眠というのはもともと「記憶の編集」をすることで知られています。特に「睡眠紡錘波(すいみんぼうすいは)」という脳波が出てくるタイミングが記憶の固着に影響しているのですが、学習してから寝て、その睡眠紡錘波が出たタイミングで電気刺激により増強することで記憶の定着が促進されるという研究結果があるんです。
――うおお、すごい。これも頭に電極をつけまくるような装置なんでしょうか。
いえ、そんなガチガチな装置でなく、アイマスクみたいなウェアラブルの刺激装置になりそうですね。既にフィリップスさんが出しているものはあるんです。ただ、これは睡眠をより深くするために音を出すという装置ですね。
この本で挙げている研究は、実際の脳活動に好影響を及ぼして学習の効果を促進するというものです。この点についてもいずれウェアラブル端末が出てくるんじゃないでしょうか。
――そういえば昔、寝てる間に音声を聴いて学習するってありましたよね。「睡眠学習」みたいな。
あれは根拠が薄いと思います。あくまで睡眠は「記憶の編集・固着」ですから、勉強はしっかりやっておく必要があります。睡眠前にしっかり勉強しておくことで、その学習内容が睡眠中に頭の中で固着していく、ということですから。
“症状”を緩和することができる
――続いて「高齢者に対してニューロフィードバックによる認知症予防トレーニング」が行われるとあるんですが、これはどういうことですか?
認知症をはじめとした精神・神経関連疾患は特定の分子をターゲットに、例えば「セロトニン」や「ノルアドレナリン」などの足りない化学物質を薬で補えばいいという発想でやってきたんですが、このアプローチが限界にきていると思うのです。
――認知症は薬では改善しないのではないか、と。
症状は抑えられても劇的な効果を生むことは難しいのはないでしょうか。脳って複雑ですからね。神経系の疾患を脳の情報処理の異常として捉え、その情報処理に介入して処理方法を変えていくアプローチが今後主流になっていくと思います。
――脳の情報処理を変える、と言いますと。
「前頭葉と後頭葉がこんな風になっています」などと本人にフィードバックしていくことですね。本人が元の脳の状態になるようトレーニングしていくのです。この本の中では詳しく書いていて、エビデンスとしてADHDの例なども載せています。
――なるほど。低下した脳の機能を薬で補うのではなく「脳の情報回路」自体をリハビリするイメージですかね。
ええ、人間は65才を超えるとあらゆる認識が低下しますが、そういった衰えを緩和できるのではないかと考えています。
乗り物酔いもモチベーションもコントロール
――本では乗り物酔いについても触れていますよね。
ああ、乗り物酔いもそうですね。あらかじめ酔い止めの薬を飲んだりしますが、あれはある意味で“眠り薬”みたいなものです。
――私も先日バスに乗る時に飲みましたが、確かにずっと眠たかったです。
乗り物に酔うというのは脳の局所の機能異常ですが、酔い止めの薬は神経全体の活性を下げるので、「乗り物酔い」だけを止めているわけではないんです。
――なるほど、ニューロテクノロジーで乗り物酔いだけを止められるようにして欲しいです。
症状の緩和ではないですが、「やる気を出す」というのもそうですね。いくら頑張ってもやる気が出ないものは仕方がないじゃないですか。
――確かに、モチベーションが上がる本を読んだり音楽を聴いたりしても、一時的ですね。
それを、「モチベーションがあがる」ということを脳活動レベルで可視化することで、自分でモチベーションがあがる状態に近づけるトレーニングができるのです。
――なるほど、ニューロテクノロジーによって本人が変えたいことを変えられるようになっていくわけですね。
ええ。ただ、いきすぎると、「自分って何なんだ」「そもそも人間とはなんだ」といった“倫理”の議論も活発になっていきます。だから社会に浸透させるには技術の限界と可能性と倫理的な問題を多くの人で議論し、慎重にやっていかないといけませんね。
――確かに、脳って何にでも関係してきますから、いきすぎたり悪用されたりすると怖いですよね。
そうです。セキュリティやプライバシーの問題など、どんな技術でもそうだと思いますが、考えなければいけないことはまだありますね。
脳情報化社会がやってきて、“脳情報エンジニア”という職業も?
――とはいえ、未来の「ニューロテクノロジー」って何だかワクワクしますね。
今まさにAIブームで、「AIに代替させる」とか「ロボットに置き換わる」みたいな話があると思います。でも、なんでもAIにやらせると人間はやることが無くなってヒマになるんですよ。
――なんでもAIにやらせ過ぎても良くない、と。
「高度なことでもなるべくAIにやらせてしまおう」というのを進めて行くと、人は生き残れなくなるんじゃないかと思います。人間というのは自分自身を成長させる強い動機があってこそ現代に至っているので、なんでも代替するのではなくて、楽しいことをみつけてそこに取り組んでいけばいいと思いますね。
――まさに、自分の脳を使って楽しい活動をしましょうということですね。
ええ、これからの未来は今日お話ししたような“脳情報化社会”がやってくると思います。そうすると“脳情報エンジニア”という職業が出てくると思うので、ぜひ興味のある人は目指してもらいたいですね。
――では、まずこの本で学んでもらうといいですね。
はい、ぜひお読みいただければ。
ということで、こちらの『ニューロテクノロジー』(技術評論社)、オススメですよ。
茨木さん、ありがとうございました!
取材協力:NTTデータ経営研究所、技術評論社
取材+文:プラスドライブ