日本で唯一のアナログレコードプレスメーカー。東洋化成がつくる、古くて新しい音風景

回転する黒い円盤に針を落とすと、温かみのある豊かな響きが生まれる。
ソファーに深く腰掛け、ゆっくりと目を閉じながら、流れる音に身を任せる。

音楽を“聴く”というよりも“味わう”体験をつくり出してくれるもの。それは、レコード。

近年、そんなレコードの良さを再評価する動きが高まっています。ダウンロード配信に押されCDの売り上げは年々減少する中、レコードの生産数は2010年ごろから増加し続けているのです。

そのレコードを、日本で唯一生産しているのが東洋化成株式会社。今回は同社のカッティング・エンジニア(※)である西谷俊介さんに、レコード制作に携わることの醍醐味について聞きました。

※カッティング・エンジニア…音量・音質・溝幅などを調整し、レコードのラッカー盤に溝を刻むエンジニア。

レコード好きが高じて、レコードを“彫る”仕事に

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――西谷さんは、何をきっかけとしてカッティング・エンジニアの仕事を始めたのですか?

西谷:元々、音楽が好きでレコードも大好きだったんです。最初は服飾の専門学校に行ってアパレル業界で働いていたんですけど、好きが高じて転職し、レコード屋で働くようになりました。

それと並行して、私は趣味で楽曲制作もやっていたんですが、自分のつくった曲をレコードにするために東洋化成を訪れたことがあったんです。それがちょうど10年前くらいですね。

――そのタイミングで、東洋化成のことを知ったのですね。

西谷:そうなんです。レコードのカッティング作業を生で見たときに、「格好いいな。これって仕事にできないかな」と、ふっと思いついたんですね。

それで、作業をしていたカッティング・エンジニアの方に「これって、跡取りの人っているんですか?」とか「こういう仕事って、私でもできるようになるんですかね?」とか色々な質問をしたんですよ。それ以来、ずっと気にかけていました。

その1年半後ぐらいに、東洋化成からカッティング・エンジニアの募集が出たんです。それを見て、応募して面接を受けて。それが入社した経緯ですね。

――レコード屋で働いたとしても、音楽やレコードに触れ続けることはできたと思うのですが、なぜあえてカッティング・エンジニアという道を選んだのでしょうか?

西谷:私は、音楽をビジネスにすることにはあまり興味がないんです。それよりも、レコードの製造方法や「どうしてこのような形状になるのか」という物理的な要素に興味があります。だから、東洋化成の事業内容と自分自身の関心がマッチしていたんです。

それに、カッティング・エンジニアって募集がかかることがほとんどないので、「応募するなら、チャンスは今しかないだろう」と思ったんですよね。

レコードの特性を理解し、最大限の“良い音”を詰めこむ

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▲作業中の西谷さん。ミキサーのさまざまなパラメーターを調整しながら、理想的な響きをつくり上げていく。

――優秀なカッティング・エンジニアとそうでない方は、どのような部分に技量の差が出るのでしょうか?

西谷:「レコードをカットする前に、溝の仕上がりが脳内でイメージできるか」に表れると思います。

レコードをカッティングする際には、まずレコード会社から渡されたマスター盤の音を聴くんですが、熟練してくるとその段階で「この曲のこの音は歪むな」とか「これは針飛びするくらい低音が強いな」と感覚的に理解できるようになるんです。

その推測と再生時のレベルメーターの情報を元に、彫り方を調整できるからこそ、優秀なカッティング・エンジニアは良い響きのレコードをつくる、といえるのではないでしょうか。

――近年、J-POPのサウンドはずいぶん音圧が上がってきたと思うのですが、昔と比べて歪みや針飛びチェックの難易度は高くなってきたと感じますか?

西谷:感じますね。そういった曲を彫る場合に気をつけなければいけないのが、アナログレコードは物理的な特性上詰めこめる情報量に限りがあるため、特定の周波数の音を一定以上入れてしまうと歪みが生じてしまうんです。

けれど、音圧を高くしなければ曲の迫力が出ません。だからこそ、その「歪むか、歪まないか」ギリギリのラインを見極め、彫り方を考える力がカッティング・エンジニアには求められます。

それから、1枚のアルバムがある場合に、アルバムの「前半パート」と「後半パート」では詰めこめる情報量が違うので、そのあたりも考慮する必要があります。

――情報量が違うのはなぜですか?

西谷:レコードでは、前半パートの情報はディスクの外側に彫られており、後半パートの情報はディスクの内側に彫られています。そしてディスクの円周は外側よりも内側の方が短いですから、詰めこめる情報量もそれに比例して少なくなるんです。

情報量が少ないと、音の再現性が低くなり歪みやすくなります。そのため、「アルバムの前半パートは歪まなくても後半パートが歪む」というケースがあるので、全体的な音のバランスを考慮しながら溝の彫り方を曲によって変えていかなければならないんです。

――それはすごい。まさに職人技の世界ですね。

「現代らしい音」をレコードで表現したい

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▲これが、レコードのカッティングマシン。日本国内には片手で数えられるほどの台数しかないという“超”貴重品だ。

――カッティング・エンジニアごとに、生み出す音の特徴は異なるかと思います。西谷さんの持ち味はどのような部分にありますか?

西谷:「現代の音を、現代の音らしくレコードに残す」という部分だと思っています。

どういうことかというと、ある曲をレコードにする場合には大きく分けると「①極端な音作りはせずに、低音から高音までフラットなサウンドにする」「②低音域を強調したり音圧を高くしたりして迫力のあるサウンドにする」という2パターンの彫り方があるんです。

②の方がより現代的なサウンドであり、海外ではこちらが主流であるケースが多いです。しかし、これは少しトリッキーな溝の彫り方をしなければいけないため、不具合が出る可能性も高くなります。製造されるレコードの品質を安定させることだけを考えれば、こちらを採用しない方が無難です。実際、これまで日本では、品質の安定性を重視するため①の彫り方がほとんどでした。

けれど、私はできるだけアーティストやクライアント企業の求める音に近づけたいと考えているので、現代的なサウンドが求められる場合には可能な限り②の方法でカッティングするようにしています。

レコードは「20世紀で終わったメディア」なんて揶揄されることもあります。でも、工夫次第ではまだまだ新しいサウンドを生み出すことはできると思うんです。

レコードは、弱点も含めて愛らしいメディア

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――最後に伺いたいのですが、レコードの良さとはどういった部分にあると思いますか?

西谷:アナログのレコードはディスクによる保存メディアのルーツになっているものなので、これが現代でも残り続けていることには大きな価値があると思います。しかも、昔と変わらない方法で聴けて、その音には独特の味がある。それはレコードだからこそ持つ味わい深さですよね。

反面、レコードってけっこう面倒なものでもあります。たくさん持つと置く場所にも困りますし、定期的に手入れをする必要もありますから。でも、その弱点も含めて愛らしいのがレコードだと思うんです。手がかかるからこそ可愛いというか。

――なるほど。そういう面倒くささも含めて楽しいからこそ、最近は若い世代の間でもレコードのリバイバルが起こっているのかもしれませんね。

西谷:そうですね。でももちろんレコードにばかり肩入れするわけではなくて、CDやダウンロード配信にもそれぞれの良さがあると思うんです。

たとえば、レコードは再生開始時や終了時に針を操作したり、ディスクを取り換えたりする必要があるので、ダラダラ流しながら他の作業をするのには向いていません。利便性の部分ではCDやダウンロード配信に軍配が上がります。

どちらが良い悪いではなく、レコードやCD、ダウンロード配信などの各メディアを「選べるようになった」ことにこそ、私は価値があると思うんです。それってつまり、人々が多種多様な聴き方を楽しめる時代になったということじゃないですか。

針を落とす手間も味わってゆったり聴きたければ、レコードを選べばいい。持ち運びできる利便性を取るならば、ダウンロード配信を選べばいい。自分の好みやシチュエーションに合わせて、それを選択できる。音楽好きとしては、すごく嬉しいことですよね。その環境って。

取材協力:東洋化成株式会社

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