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【祝!国産旅客機“MRJ”の誕生】今知っておきたい!「航空機」開発600年の歴史をスライドで一気に振り返る

53年ぶりとなる国産の旅客機「MRJ」が最初にロールアウトしたのが2014年。そして2015年11月11日、MRJの初飛行に成功。

「MRJ」は地方創生の救世主と呼ばれており、高いポテンシャルを秘めています。今回は、その日本の航空機の新たな歴史を切り開く「MRJ」の誕生を祝して、飛行機の歴史をスライドで振り返っていきます。

それは、航空エンジニアたちの人生を賭した挑戦の歴史でした。

【黎明期】機体の原型から初の有人飛行まで、多くの可能性を秘めた13世紀後半〜18世紀

イタリア・ルネサンス期を生きた芸術家であり発明家の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。

天才と称される彼の着眼点はすでに現代のテクノロジーに通ずるものがありました。それは飛行機にも当てはまり、数種類の鳥の飛翔を観察した結果、彼は飛行機を考案する際にコウモリを模倣すべきだと述べたそうです。

人工の翼を用いて3,000mを滑空。この逸話はトルコ国内において広く知られており、イスタンブールには「ヘザルフェン空港」を意味する名称の空港があるほどです。

世界初の有人飛行に成功。2人を乗せた気球は910mほどまで上昇し、パリ上空9kmの距離を25分間にわたって飛行したという逸話が残っています。

【実験期】多くの試行錯誤を繰り返し、着実に歩みを進めた19世紀

「航空学の父」と呼ばれるイギリスのジョージ・ケイリーが、「ひれ」で推進されるグライダーを設計・製作し、当時10歳の少年の有人滑空に成功します。彼は航空機に働き4つのベクトル、推力、揚力、抗力、重力を発見。

さらに、ロール方向の安定性を保つためには上反角が重要であることも発見し、グライダーの重心を翼の下に置きました。これらの力学的考察は、ハング・グライダーの発達に影響を与えたほど画期的なものでした。

ドイツが誇る航空エンジニアの「オットー・リリエンタール」は、1891年からハンググライダーによる飛行実験を開始。2000回以上実験を繰り返しますが、1896年にグライダーの墜落で殉職してしまいました。

彼は飛行機の実用化に貢献したパイオニアとされており、その後の航空エンジニアたちに深い影響を及ぼしました。

【成長期】動力飛行の時代に突入!開発スピードも大きく飛躍した20世紀前半

アメリカのライト兄弟が世界初の動力飛行を成し遂げました。12馬力のエンジンを搭載した「ライトフライヤー号」であり、この出来事は飛行機の歴史を大きく前進させました。

彼らは、それまでの飛行の試みの多くが跳躍かその延長でしかなかったのに対して、主翼をねじることによって制御された飛行を行ないました。こうして、飛行機の実用化に道を開いたのです。

モノコック構造の古典的構造ながら、空気抵抗を減少する努力が最大限になされた「スピリットオブセントルイス号」は、航空エンジニアの魂が詰まった飛行機でした。

イギリスの航空エンジニアである「フランク・ホイットル」が、ターボジェットエンジンの発明に関する論文をまとめ、特許を出願。

その後、1936年に自ら会社を設立し、ターボジェットエンジンの開発に着手しました。彼が残した業績から、ジェット機の開発が加速度的に進んでいきました。

「零式艦上戦闘機」(ゼロ戦)の試作1号機が完成。ジブリ映画「風立ちぬ」のモデルにもなった「堀越二郎」を中心に、三菱重工業が急ピッチで作り上げた、日本が世界に誇る航空機です。

連合軍側のコードネームは「ZEKE(ジーク)」。最大速力、上昇力、航続力を満たすため、軽量化を重視して設計されました。

【成熟期】旅客機の登場と共に国産機も開発された20世紀後半

イギリスのデ・ハビランド社が、世界初のターボジェット旅客機「DH 106 コメット」を就航。形状に関しては現在の航空機とほぼ変わらず、人々の貴重な移動手段となっていきました。

国産初となるジェット練習機「T-1」が、富士重工(旧、中島飛行機)によって開発。初鷹という愛称がついた当機は、日本の航空機開発の礎となった技術力の結晶です。

【新興期】初鷹の開発から50年後、いよいよ「MRJ」の歴史が動き出す

MRJの開発を行う専門事業者である「三菱航空機」が誕生。国内初となるジェット旅客機の就航を目指した挑戦がここからはじまりました。

10月18日、多数の困難を乗り越え、「MRJ」がロールアウト。

三菱航空機副社長が語る「MRJ」の開発風景

「米ボーイングなどは開発の当初から量産を念頭に置いた設計を進めているが、我々はそこまで成熟していないので、まず試験機を作り上げることに全力を注いでいる。理想的な飛行機にしたい設計部門と、作りやすい飛行機を求める工作部門とのせめぎ合いは日々起きている。航空会社からの要求事項をどの時点で反映させるか、というのも常に議論になる」

出典:Newswitch by日刊工業新聞2015年04月21日 岸信夫三菱航空機副社長インタビューより引用

2015年、日本の航空史に新たな1ページが加わった

2015年11月11日は、日本の航空史にとって貴重な日となりました。

機長・安村氏が語ったMRJのポテンシャル

■「離陸速度に達すると、飛行機が飛びたいと言っているようだった」
■「上昇する間も非常に安定しており、シミュレーターでの訓練通りで、全く違和感を感じなかった。非常に高いポテンシャルを持っている」

出典:Aviation WireTadayuki YOSHIKAWA氏のインタビュー記事より引用

航空エンジニアたちの空への挑戦は続く

「空を飛ぶ」という人類の夢を実現すべく、航空エンジニアたちは時代を超えて幾度となく挑戦を繰り返してきました。私たちが自由に航空機で移動できるのは、こうした挑戦の上に成り立っているのですね。

そして今、日本では53年ぶりとなる国産旅客機「MRJ」が誕生しました。航空エンジニアたちの挑戦は、これからも私たちの生活を変え、そして新たな歴史を作っていくことでしょう。

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