下町トップレベルのへら絞り技術!高橋鉸工業の職人技はこうして生まれた

平面状または円筒状の金属板を回転させ、「へら」という棒を押し当てながら変形させる加工技術である「へら絞り」。楽器のティンパニや大規模施設の吹出し口、時計の枠など、数えきれないほどの工業製品にその技術が使われています。

へら絞りを主力事業とする企業の中でも、特に高い技術を誇っているのが、東京都江戸川区に位置する高橋鉸工業株式会社。そして、同社の中核を支えるのが専務取締役の高橋雅泰さんです。

へら絞り職人の力量はどういったところに表れるのか。高橋さんはいかにして自身の技術を研鑚してきたのか。今回は、その秘密に迫ります!

0.2mm厚の金属を割れないように曲げる、職人技の世界

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――へら絞りの技術が高い職人とそうでない職人は、どういうところに差が出るものなんですか?

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高橋:1枚の金属板を、いかに“伸ばさず”曲げられるかですね。慣れていない者が作業すると、だいたい板を伸ばしてしまってペラペラになったり、途中で切れたりしてしまうんです。

お客さんによっては「(金属を)何ミリ厚で残してください」という注文をされる方もいますから、職人は決まった厚さにぴったり収められるようでないといけません。

特に難しいのは、薄い材料を絞るときです。たとえばステンレスなどで0.2mmくらいの材料を扱うときもあります。そのくらい薄いと、ほとんど厚紙と同じくらいの厚さ。ちょっと間違えただけでも板がバラバラになってしまいます。非常に神経を使う作業なんです。

――繊細な感覚が求められる仕事なんですね。

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高橋:そうですね。それに、求められるのはへら絞りの技術だけじゃありません。品物の種類によっては溶接や木材加工の技術なんかも必要になってきます。さまざまな機械の使い方だって覚えないといけないですし、金属の種類だって山ほどある。

だから、10年かかってようやく一人前という奥深い世界なんです。

先輩に怒鳴られながら、腕を磨いた若手時代

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――その奥深い世界に、高橋さんはどうやって足を踏み入れたんですか?

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高橋:高橋絞工業は祖父が立ち上げて父が継いだ会社で、私もいつかは家業を継ぐつもりでした。

でも、祖父と父が相談して「最初から実家の会社で働くと甘えが出てしまうから、まずは他の会社で鍛えてもらった方がいいだろう」となったんです。他人の飯を食えということですね。それで、絞りをやっている別の会社に住みこみで働き始めました。

――昔の職人の世界は、上下関係がとても厳しいイメージがありますが、実際はどうでしたか?

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高橋:いやあ、厳しかったですよ。たとえば先輩が「モンキー(レンチ)を持ってこい」なんて言うんだけど、新人のうちはそれが何かわからないわけです。

だから、「モンキーって何ですか?」と質問したら「そんなこともわかんねえのか!」って怒鳴られて、工場の中を追いかけまわされる。そういう世界でした。ちょっとヘマすると「荷物まとめて出ていけ!」なんてよく言われましたよ(笑)。

――それは厳しい……! 古き良き職人の世界ですね。

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高橋:けれど、働き始めたころはまだ18~19歳くらいの若造だったから、「一生懸命仕事に打ちこむ意義」みたいなものは、まだ理解できていなかったですね。

――仕事に一生懸命になり始めたのはいつからですか?

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高橋:働き始めて2~3年くらい経ったころかなあ。「このままじゃ、実家に戻って家業を継いでもロクに仕事ができないだろう。それじゃ駄目だな」と心を入れ替えて、先輩たちの仕事をしっかり見て技術を盗むようになったんですよ。

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▲真剣な眼差しで作業する職人。その手さばきは、まさに熟練の動作だ。

――職人というのは、先輩の仕事を“見て”覚えるのが基本なんですか?

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高橋:そうです。誰もご丁寧には教えてくれませんからね。仕事のできる先輩がどんな作業をしているのか、手元をジッと観察して盗むわけです。そしてそれを自分でも試してみる。そのくり返しです。

――そう考えると、厳しい世界ですね。必死で覚えないと、とてもじゃないけど学べない。

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高橋:そうですね。「根性のないやつはいらない」という世界だから。そうして、少しずつ技術を身につけて、だんだんと良い品物をつくれるようになってからは、仕事が面白くなってきましたね。

この仕事の難しさや責任を、若手にどう伝えるか

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▲ティンパニを絞る高橋さん。数ある製品の中でもティンパニは特に難易度が高く、製造できる職人は限られるという。その理由を「大きくて(曲げの)傾斜がきついので、少しでも力の入れ方を間違えればあっという間にオシャカになってしまうから」と高橋さんは語る。

――修行先から、高橋絞工業に戻ってきてからは大変なことはありましたか?

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高橋:いっぱいありましたよ。まず、修業から戻ってくればウチの会社にいるのは全員ベテランの職人ばかり。彼らは何十年もこの道でやってきたプライドがあるから、簡単には私のことを認めてくれないわけです。喧嘩もよくしましたね。

――認めてもらうために、どういったことをしましたか?

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高橋:職人の世界は技術がすべてだから、彼らに認めてもらうには自分自身が立派な職人になるしかありません。だから、とにかく丁寧な仕事をひたすら続けましたよ。毎日がむしゃらに働いて。そうして徐々に信用を得て、専務取締役になったんです。

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――専務取締役として“下を育てる立場”になった今、昔と考え方は変わりましたか?

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高橋:「この仕事の難しさや責任を、若手にどう伝えるか?」を常に悩むようになりましたね。

さっき話したように、へら絞りは10年かかってようやく一人前になれるかどうかという世界。技術を習得するには長い時間がかかります。それまで、地道な鍛錬を続けなければいけません。根性のいる仕事なんです。

それに、日本中のありとあらゆる企業が取引先だから、どんなお客さんの要望にもきちんと応えられるようにならなきゃいけません。だから、「私のつくったものは、こんなに良いものですよ」って、胸を張ってお客さんに渡せるように、責任を持って働いてほしいなと思っていますね。

へら絞りは、日本のものづくりを支える“縁の下の力持ち”

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――最後に聞きたいのですが、へら絞りというのは日本のものづくりにおいてどれくらい重要な技術なんでしょうか?

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高橋:へら絞りってあまり認知度は高くないですけど、世の中の本当に色々な製品に使われている技術なんです。

羽田空港や成田空港、幕張メッセといった大規模施設にある大型吹出し口。ティンパニやスネアドラム、シンバルなどの楽器。照明器具や時計の枠。それから最近流行しているキャンプ用のコッヘルなど、ありとあらゆるものをウチの会社は製造しています。

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▲高橋絞工業で製造された時計。学校の教室などでよく見かける“例のアレ”だ。

――そんなに多種多様なものが、へら絞りによって製造されているんですね。私たちが普段見かける製品にも、高橋さんたちの技術が使われているかもしれませんね。

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高橋:きっと使われていると思いますよ。だから街や施設なんかで自分たちが絞ったものを見かけると、すごく誇らしい気持ちになります。へら絞りの職人というのは、日本のものづくりの縁の下の力持ちなんです。

――日本のものづくりを支える職人技、本当に格好いいですね。今回はどうもありがとうございました!

取材協力:高橋鉸工業株式会社

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