ヒト

芸術家とエンジニアの意外な共通点って? 「明和電機」社長に聞く、これからのエンジニアに必要なこと

音符の形をした奇妙な電子楽器「オタマトーン」をはじめ、数々のナンセンスなマシーンを生み出し、国内外でライブパフォーマンスを行うアートユニット「明和電機」。日本のメーカーを模した出で立ちが示す通り、その作品作りの根底にあるのは「エンジニアリングと芸術の融合」だといいます。

今回は明和電機の工房にお邪魔して、代表取締役社長である土佐信道さんにインタビュー。子ども時代から現在に至るまでのものづくりの歴史と、次世代の機電系エンジニアに必要な「創造力」について聞きました!

<プロフィール>
土佐信道(とさ のぶみち)
1967年、兵庫県生まれ。筑波大学大学院 芸術研究科 修士課程修了。1993年、兄の正道氏と明和電機を結成。ユニット名は父親が過去に経営していた会社名から。青い作業服を着用し、作品を「製品」、ライブを「製品デモンストレーション」と呼ぶなど、日本の高度経済成長を支えた中小企業のスタイルで活動する。

実家の町工場で育まれた「エンジニアの自分」と、不可解になぜか惹かれる「芸術家の自分」

――「明和電機」が誕生するまでのストーリーを教えてください。

土佐:ぼくが生まれたのは、兵庫県の赤穂市という城下町。父が「有限会社明和電機」という、電気部品を作る小さな町工場をやっていました。ぼくら家族が住んでいたのは工場の2階で、鉄の錆びた匂いやオイルの匂い、グラインダーでものを削る匂いの中で育ちました。

――その影響で、幼少時からものづくりに興味があったのですか?

土佐:よくあるラジコン少年とか、電子工作少年というのでは全然なくて。小学生のときはひたすら絵を描くのに没頭していました。ハマっていたジャンルは「シュルレアリスム」。サルバドール・ダリの作品が大好きで、誰に教わるわけでもなく、気持ち悪い絵ばかり描いていましたね。

――小学生で、ダリですか。どこに惹かれたのでしょうか。

土佐:物心ついたときから、いわゆる「不可解なもの」にすごく興味があったんです。不可解っていうのは、得体が知れないもののこと。

不可解はいろんなところにあって、たとえば当時大流行していた「戦隊ロボ」。ヒーローであるロボットは絶対の正義側で、かつ「論理」なんですよ。対して、悪役は怪獣だったり魔物だったり、つねに「不可解」です。

――……難解ですね(笑)。不可解とは何でしょう。

土佐:なんだかぐにゃっとしたもの。どこから来たのか、一体何なのかまったくわからない、理不尽な存在です。この「不可解と論理がたたかう」という戦隊ロボの構図は、今もぼく自身の中に強く残っています。

というのも、ぼくの頭には、「エンジニア脳」と「芸術家脳」という2つの脳みそがあります。不可解は「芸術」です。この不可解をばっと表現すると絵ができる。なのでずっと絵を描いていたんだけど、町工場で育ったものだから、自分の中の「論理」であるエンジニア脳がそれを許さなかった。そこで論理が不可解を追いかけていくことになったわけです。

不可解を論理でコントロールする「電子音楽」との出合い

――ものづくりの活動における、次のステップは何でしたか。

土佐:絵を描くことしか表現の手段を知らなかった小学生時代から、中学に入ると「音楽」を始めました。ブラスバンド部に入部して「ティンパニ」という打楽器を担当したんです。

土佐:打楽器の「叩く」という行為は、人間の本能であり、情念的行動です。うりゃーって叩けばよくて、それこそ楽器でなくてもいい。携帯電話を叩いたって音が出ます。創意工夫でいろいろなことができるという、極めてクリエイティブな行為です。

ただ、無闇に叩くんじゃなくて、そこにはちゃんと基礎があります。筋肉の使い方とか、奏法とか、こうやると消費エネルギーが少なく大きな音が出せますよと。それはある意味で「エンジニア的」ですよね。自分の身体を使って、力学を体験していた感じです。

――音楽で「エンジニア脳」と「芸術家脳」の両方が働いていたのですね。

土佐:さらに中高生時代は、兄弟で「シンセサイザー」のツマミだらけのコンソール(制御盤)をいじくる面白さにハマったり、コンピューター上のソフトウェアである「ミュージックシーケンサー」(設定した音色や楽曲を記録し、自動再生する装置)の「打ち込み」によって音楽を組み立てていく作業にのめり込んでいました。

土佐:そんな感じで、高校まではほとんど音楽によって、エンジニアリングと不可解の橋渡しをしていました。芸術でそれをやってみようとしたのは大学生からです。

「ものづくり」の原点に立ち戻った大学時代

――その後、筑波大学に入学してからのことを教えてください。

土佐:ぼくが入った筑波大の総合造形コースは、現代美術やパフォーマンス、メディアアート(電子機器などのテクノロジーを利用した芸術表現)といった、20世紀に登場した新しい芸術表現の全般を扱うところでした。
入学してまず衝撃を受けたのは、学内に工房があって、そこにフライス盤や旋盤(せんばん)などの工作機械がずらりと並んでいたこと。入った瞬間、「ぼくはこの匂いを知っている」「これは親父の明和電機の匂いだ」と、すぐにわかりました。

実は小6のときに工場が倒産して以来、家族はバラバラになってしまって、あの頃のことは自分の中で完全に封印していました。あんなに嫌だったのに、やっぱり強烈に惹かれている自分がいる。その工房に毎日入り浸って、工作機械の使い方を学びました。

――そこではどんなものを作ったのですか。

土佐:学部の卒業制作として「妊婦のロボット」を作りました。等身大の人間サイズの機械人形です。

土佐:ぼくがこの作品で表そうとしたのは、「命とは何なのか」という思いでした。つまりは生命の不可解さです。
今まで、音楽における「打ち込み」のような、コンピュータで制作を制御する手法をとったり、自作の電子音楽に合わせてロボットが動くようにして「不可解さ」を追いかけてきました。
その集大成として、命を自分なりに解釈して作ってみたのです。
しかし、出来上がった人形はぼくがプログラムした動きしかやらない。ただのハリボテでした。 なぜなら、根本的に大きな矛盾があったんです。不可解はわからないから不可解なのであって、それを機械という論理で全部わかろうとしても、できるはずがない。自分が作ってきたもの、やってきたことに自信がなくなりました。
ぼくはスランプに陥り、自分が本当にやりたかったことは何なのか、さっぱりわからなくなってしまった。

――どうやってスランプから抜け出したのでしょうか。

土佐:大学院の1年生のとき、どうしていいかわからずに、ひたすら「魚」の絵を描き続けました。ぼくは昔からよく魚の悪夢を見ていたから、ぱっと目をつぶると、不可解な魚の姿がとめどなく浮かんでくる。それを1000匹描いたところで、自分が不可解を表現するとはこういうことだったと、なんとなくわかりました。

土佐:そこで今度は、分解してみようと思ったんです。卒業制作では、人間の生命を丸ごと作ろうとしたからうまくいかなかった。要素を細分化して、気になるところをひとつずつ形にしていけば、何かがわかるんじゃないかと。

土佐:そうやって作ったのが、魚のモチーフを装置化した「魚器(なき)」シリーズです。魚の骨でできた弓や、浮き袋を動かす機械、捕まえた魚を締める魚打棒(なうちぼう)など。これらはいわゆる機械の部品みたいなもので、それ自体は不可解な存在です。大学院の修了制作では、作品をばーっと並べた前にぼくが立って、パフォーマンスとして使って見せることで、不可解をつなぎ合わせました。

このやり方が自分の中ですごくしっくりきて、全部がつながった感覚がありました。その後、親父の工場で使っていたのと同じ色の作業服を着て、兄と一緒に「明和電機」を結成したんです。1993年の結成から現在までに、およそ300作品を制作してきました。

明和電機が世の中に発表してきたモノ

オタマトーン
明和電機初の電子楽器。顔から上部に伸びている尻尾部分の黒い「エンブレンスイッチ」と顔の口の開閉操作で様々な音色を出すことができる。「エンブレンスイッチ」は指でプッシュする、押さえたまま滑らせることで音の出方が変わり、他社には真似できない技術が詰まっている。

弓魚4号
魚器シリーズの1つである弓魚4号はボーガンタイプ。魚の骨の造形を元に作成されたもの。尻尾を引くことで弦が伸び、実際に矢を飛ばすことができる。「造形物でありながら、仕組みを持った芸術作品」という明和電機のモノづくりを象徴する作品である。

パチモク
ユビパッチンをすることで、ウィングの先に付いた木魚をノッカーで叩く楽器。指の先にスイッチがついており、踊りながら音を奏でることができる。背中に装着できるユニットのウィングは、胸のボタンで開閉できる。

明和電機のモノづくりを覗き見

武蔵小山にある明和電機のアトリエで、新商品の開発と量産が行われている。働いている人たちの中には、エンジニアや工学部出身者はほとんどおらず、美術大学出身者がほとんどである。

それぞれのデスクで分業により、パーツの制作や組み立てが行われていた。明和電機のモノづくりは土佐社長の頭の中から始まり、彼らの手によってカタチになっていく。

オタマトーンジャンボの組み立て風景。3Dプリンタなどの機械はあるものの、手作業を中心に製作が行われていた。

土佐社長みずから作品を身に付け、パフォーマンスをしながらその魅力を伝えていく。これこそが他の企業にはない明和電機の強みだそう。

かつてのエンジニアと、これからのエンジニア

――幼少期から学生時代の葛藤を繰り返した末に、ようやく腑に落ちるやり方が見つかっていったのですね。これまでのお話の中で、アーティストではない機電系エンジニアにも共通するところがあるとすれば何でしょうか。

土佐:エンジニアと芸術家の一番の違いって「不可解へのアプローチ」だとぼくは思います。エンジニアリングは絶対論理です。機械というのは、論理的な部品を論理的に組み合わせなければきちんと動きません。だから不可解があっても切り捨てて排除します。

だけど芸術家がエンジニアリングを扱うときは違っていて、不可解を残す。論理で突き詰めてもどうしてもわからない部分が出てきたら、それをそのまま不可解として、ぱっと取り付けてしまうんです。

――具体的には、どういうことでしょうか。

土佐:たとえば「オタマトーン」で説明すると、この楽器には顔がついています。でも、本来であれば楽器に顔をつける必要はないですよね。いい音が出ればそれが楽器になる。安く効率よく大量生産できれば、工業製品として普及していく。顔なんてむしろないほうがいい。

土佐:だけど太古の昔、楽器にはみんな顔がついていたり、絵が描いてあったり、足がついていたりしました。なぜなら楽器が呪術や儀式で使われるものだったから。神様に近い存在だったんです。

オタマトーンがヒット商品になったのは、この顔がついていたからです。不可解があるから違和感が生まれる。気になって感情移入できる。……ぼくに「なんですかこれ?」と聞かれたところで「なんでしょうかねえ」としか答えられないですから(笑)。残った不可解をそのままつけただけなので。

――近年、技術のあり方が急速に変化するなかで、エンジニアのあり方は変わってきているでしょうか。

土佐:技術は積み重ねでできているものだから、正攻法でやらなきゃいけない部分は絶対あるけど、新しいことをやるときはすっ飛ばさないといけないこともある。
今まで当たり前だと思ってたことから、違うことに目を向けることで、ブレイクすることもあるのかなとは思います。

――なるほど、受け継がれてきた技術だけに頼らず、時には飛び越えることも必要なのですね。

土佐:また、最近は昔のメカニックな機械だけでなく、「感性的な機械」というのが確実に増えてきていますよね。たとえばロボットだったり、人工知能だったり。そういうものを作るにあたっては、より人間の感性や感覚に近いエンジニアリングが求められます。

さっき言った「不可解を完全排除するエンジニア」は、いわば従来のエンジニアです。これからのエンジニアは、図面上の論理だけで組んだらおかしなことになってしまう。人間が持っている不可解さと向き合って、どこかに残しておかないときっとダメなんです。感性と論理を共存させないと。

――感性は芸術家だけのものではない、ということですね。

土佐:そう。感性は芸術家だけが持つべきものではないし、論理は科学者や技術屋だけが持つものではない。クロスしてないといけない。そして生粋のエンジニアは、可解を組み合わせることで不可解に近づいていくのだと思います。論理的なところは論理で言えないといけない。それが人を動かす説得力にもつながります。

――これからの時代、日本のエンジニアが世界でたたかえる強みは何だと思われますか。

土佐:ものづくりの技術力だけで言えば、「日本が一番!」という時代はもう終わっていますよね。ひと昔前は中国製といえば粗悪品のイメージがありましたが、今の中国はすばらしい製品を生み出せる近代的な工場があちこちにあって、そこでは若者たちが活発に議論しながらものづくりをしている。しかも品物の値段はケタ違いに安い。あれには日本は到底敵わないですよ。

だけどね、言えることがあるとすれば、オタマトーンは明和電機にしか作れない。ぼくが日本のカルチャーの中にどっぷり浸かって、どう生きようかと悩んでもがいていたら、最終的にこんな変なものが生まれた。これは日本ならではのナンセンスな感性です。

もうひとつ、中国はものすごいスピードでコピー品を作っていきます。明和電機の製品でもパチモノができましたが、やっぱりオタマトーンには手を出さない。なぜかというと、これは作るのがすごく難しい。「メンブレンスイッチ」という指で触って音を出す機構がデリケートなので、安易にコピーしたとしても不良品が多くなっておそらく儲からないんです。

土佐:つまり、何かひとつ特殊な技術を持ったら、それはもうコピーできないということ。だからエンジニアとしては、感性的に新しいものを創造するか、あるいは精度や製造方法などの一点突破でパクられない技術を確立するか。それができれば勝ちじゃないかとぼくは思います。

まとめ

芸術家とエンジニアの双方の視点を取り入れながら、発信を続ける土佐社長。かつてエンジニアが技術によって払拭してきた“不可解さ”をあえて表現したその作品に、多くの人が魅了されてきました。その根底には、好奇心に任せて全力で追い求め、楽しむ気持ちがあったから。まさにモノづくりの醍醐味ではないでしょうか。
不可解を可解にしていくことで世の中は便利になっていくことでしょう。しかし、不可解があることで、もっと楽しい世界ができていくのかもしれません。


撮影:長野竜成
取材+文:小村トリコ

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