TOUCH THE SECURITY Powered by Security Service G

コラム

2018.10.24

hackerアーリーデイズvol.2 ――マウス、ウインドウ...ビルアトキンソンと現代のGUI

※アイキャッチ画像: Daniel Rehn (CC BY 2.0), from Flickr

ビル・アトキンソンという偉人の名前を知っている人は少ないかもしれない。

私たちが今使っているPC、タブレット、スマートフォンは、ウィンドウを開いて、マウスや指で移動し、ボタンを押すという操作体系=GUI(グラフィカル・ユーザ・インタフェース)で成り立っている。このGUIを最初に実用的なデザインをしたのがビル・アトキンソンだ。

TVインタビューでスティーブ・ジョブスについて語る近年のビル・アトキンソン

マウスとウインドウのアイデアは盗用か ――バトルオブシリコンバレー

GUIの歴史については、ゼロックスのパロアルト研究所で生まれて、アップルがそのアイディアをMacで商用化、後にマイクロソフトもWindowsで追いかけるという流れをご存知の方も多いだろう。

ゼロックスは、コピー機の製造販売で成功した企業だったが、コンピュータの実用化を何よりも恐れていた。なぜなら、コンピュータがオフィスに普及してペーパレスの時代になったら、誰もコピー機など使わなくなってしまうからだ。

しかし、ゼロックスという企業が素晴らしいのは、だったらコンピュータの分野でナンバーワンになろうと考え、巨費を投じて、全米の優秀なコンピュータ科学者を大量に雇用し、カリフォルニア州パロアルトに研究所を設立して、未来のコンピュータ、未来のオフィスの研究をさせた。ここから生まれた成果のひとつが、マウスでウィンドウを操作するコンピュータ「Alto」(アルト)だった。

ゼロックスのAltoコンピュータ
By Maksym Kozlenko [CC BY-SA 4.0 ], from Wikimedia Commons

知的財産権のような法的な問題はすべて解決しているので、事実とは異なるが、熱狂的なコンピュータ史ファンの間では、「アップルはゼロックスのアイディアを盗み、マイクロソフトはアップルのアイディアを盗んだ」ということになっている。2011年の米ドラマ「バトル・オブ・シリコンバレー」では、ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズが激突をする名シーンがある。

ウィンドウズはアップルのアイディアを盗んだものだと詰め寄るジョブズに、ビル・ゲイツが反論をする。「君も僕もお金持ちのお隣さんがいた。ゼロックスだ。いつもドアが開けっぱなしだったから、君はテレビを盗みに入った。僕も盗んだというだけだ。それなのに君は、不公平だ!僕が最初に盗んだのに!と言うのか?」。

これはドラマを面白くするための創作で、Alto、Mac、Windowsを並べてみれば、確かに「ウィンドウをマウスで操作する」という点は同じであるものの、それぞれに独自の工夫があり、とても「盗んだ」などとは言えないことがわかってくる。

Apple Lisa ――パーソナルコンピュータ初のGUI搭載機

1978年、アトキンソン27歳の時に、Macの原型にあたるLisaの開発がスタートする。当時のアップルの主力商品であったApple IIの次世代マシンで、開発リーダーのスティーブ・ジョブズは「画期的なマシンにする」と息巻いていた。

Apple Lisa
by Rama, Wikimedia Commons, Cc-by-sa-2.0-fr [CeCILL

アトキンソンと同じく、初期マッキントッシュの開発陣であるアンディ・ハーツフェルドが書いた記事には、アトキンソンが残した、Lisaの開発当時の画面の写真が掲載されている。

アンディ・ハーツフェルドの記事(folklore.org)より

そこに掲載されたポラロイド写真によると、1979年春頃のLiasの画面は、ウィンドウがひとつだけで、マウスを使うのではなくソフトキー(ファンクションキー)で操作するものだった。現在のMacOSとはかなり違うが、それでもウィンドウシステムを採用したGUIという方向で開発が進んでいたようだ。

しかし、1979年夏になると、複数のウィンドウが使えるようになり、マウスをクリックすることで、ポップアップメニューを開いて操作する方法になっている。ただし、ソフトキーによる操作も併用され、操作方法については試行錯誤していたようだ。

この段階で、現在のMacOSの基本となる仕組みができあがっていることがわかる。そして、この年の11月と12月に、アップルの開発チームはパロアルト研究所を訪問し、Altoの実物を見ることになる。つまり、よく言われるような「Altoのアイディアを盗む」必要はアトキンソンにはなかった。Altoを見なくても、独自にGUIの開発を相当なレベルまで進めていたのだ。

Altoによって後押しされた、AppleのUIの方向性

ジョブズやアトキンソンが、パロアルト研究所を訪問してAltoを見たときの感想は「我々の方向性は間違っていなかった」というものだった。アトキンソンにしてみれば、GUIというのはパーソナルコンピュータの未来であるという確信はあったものの、孤独な戦いをしていた。そこにパロアルト研究所という同志がいた。しかも、Lisaよりもはるかに洗練されたAltoを動かしている。大いに勇気づけられたことだろう。

アトキンソンのLisaと比べて、Altoが圧倒的に優っていたのは、マウスで操作することを徹底していたことだ。キーボードは文字入力にしか使わない。Lisaは操作をするのに、マウスでいくか、ソフトキーでいくか、試行錯誤を重ねていた。アトキンソンは、Altoを見て、「次世代のGUIはマウスで操作するべき」という確信を得た。

ところが、Altoのマウス操作も決して洗練されたものとは言えなかった。なぜならAltoのマウスにはボタンが3つもあり、複雑なボタン操作が必要だったのだ。例えば、表示されているテキストの一部分をコピーしたいときは、まずテキストの先頭部分で赤ボタンをクリックする。それから選択した末尾部分で黄色ボタンをクリックする。これでテキストが選択できるので、青ボタンをクリックすると、ポップアップメニューが表示されるので、「コピー」を赤ボタンでクリックして選択する。Altoもマウスの具体的な操作方法については試行錯誤をしている最中だった。

ジョブズのひらめきとワンボタンマウスの誕生

Altoを見学したアップルのLisa開発チームは興奮をして、Altoのようなマウス操作のコンピュータを目指すことになる。ここでジョブズが実に不思議な行動に出る。LisaのGUIをどのように改良していくかも定まらないうちに、デザイナーにマウスを発注してしまうのだ。しかも、Altoのような3つボタンではなく、「ボタンは1つにしろ」と指示してしまった。

なぜジョブズが1つボタンにしたのかはわからない。3つボタンマウスでは300ドルの製造コストがかかるが、ボタンを1つにすると劇的にコストダウンができて15ドルで済むということもあった。しかし、恐らくは「ボタンが3つもあるのは美しくない」というジョブズ特有の美的感覚がそうさせたのではないかと考えられている。

確かに、ボタンは3つもあるより、1つの方が美しい。しかし、困ったのはアトキンソンだった。Altoはボタンが3つあるから操作ができる。それを1つにしたら操作のしようがないのだ。例えば、Altoではテキストの上で赤ボタンをクリックするとテキスト選択になり、青ボタンをクリックするとポップアップメニューが開く。しかし、ボタンが1つしかなかったら、テキストを選択したいのか、メニューを開きたいのかをコンピュータが知ることができない。

アトキンソンの試行錯誤

アトキンソンはジョブズの思いつきに苦しめられることになった。

Altoではウィンドウの枠の上で、青ボタンを開くとポップアップメニューが開いて、「移動」「リサイズ」「閉じる」などの操作ができるようになる。アトキンソンは、このメニューを開く青ボタンは不要であることに気がついた。ウィンドウはメニューを使わなくても操作できるのだ。

アトキンソンはドラッグ操作という新しいマウスの使い方を発明した。ウィンドウを移動させたいときは、わざわざメニューから「移動」を選ばなくても、タイトルバー部分をクリックして、クリックしたまま移動し、ボタンを離すとウィンドウがその位置に移動するようにした。また、リサイズはウィンドウの右下にリサイズボタンをつけ、これをドラッグすることで大きさを変えられるようにした。ウィンドウ枠にはクローズボックスをつけ、ウィンドウを閉じたいときは、これをクリックすればいいようにした。

しかし、ポップアップメニューは、ウィンドウ操作だけでなく、「コピー」「ペースト」など、ウィンドウの内容を操作するときにも使う。青ボタンをなくしてしまうと、ポップアップメニューを開くことができなくなる。アトキンソンは、「だったらメニューを表示したままにすればいい」と考えた。こうして生まれたのが、メニューバーだ。メニューバーは常に表示されたままになっていて、項目をクリックすると対応するメニューが表示される。

また、ドラッグという操作を発明したことにより、黄色ボタンも不要になった。テキストを選択するときは、始点でマウスをクリックし、ボタンを押したままにしてマウスを動かし、終点でボタンを離せばいい。

メニューバー、ドラッグ操作が生まれたため、デスクトップという概念が誕生した。Altoのデスクトップは何に使うこともできない背景にすぎなかった。Lisaではファイルのアイコンを置いておくことができ、ドラッグをして位置を移動させることができる作業領域になった。

さらにアトキンソンは、今日誰もが知っているゴミ箱まで作って、ファイルの削除が簡単にできるようにした。

ここまでくると、今日のMacOSやWindowsに近いインタフェースができあがってきた。そして、このGUIは、マウスが指となり、スマートフォンやタブレットの操作にも受け継がれている。

Altoの復刻版での動作映像。マウスのクリック音に注意してもらうとわかるが、ドラッグという操作が存在しない。12分20秒あたりから、Altoの動作画面が登場する。

Lisaの動作映像。モノクロ、解像度が低いなどの違いはあるが、メニューバー、デスクトップ、ゴミ箱、ドラッグ操作など、今日のGUIの基本要素が出揃っていることがわかる。ビル・アトキンソンはこのような要素を“発明"した。

アトキンソンの功績

ビル・アトキンソンは、プログラミングもできたが、デザインの感覚に優れていた。コンピュータの操作法を普通に人にも使えるようにわかりやすくシンプルにしたのはアトキンソンの功績だ。

Lisaは1983年に発売されたが、あまりにも高価だったため商業的には失敗をした。そして、アトキンソンはMacintoshの開発にも参加し、1984年に発売されたMacintoshから、アトキンソンのGUIが世の中に広がり始めた。もし、アトキンソンがいなければ、私たちのデバイスの進化は10年ほど遅れていたかもしれない。

記事一覧に戻る